
回答はあくまでも自分の教師経験をふまえた個人的な意見や感想です。何か、質問してみたいことがあれば、設置された掲示板に書き込んでください。個人の中傷にならないよう、精一杯の本音を書き込ませていただきます。
《質問》学校の先生って、本当に「ひいき」するんですか?
それって先生によりますね。中には特定の生徒だけ特別扱いしたり、逆に特定の生徒だけ色眼鏡で見たりする人もいると思いますが、そういう不公平な先生ばかりではありません。恐らくは、生徒の内面を知る努力をあまりしてないんでしょう。努力と言ってもそんなたいそうなことではないんです。昼休みに一緒に遊ぶとか、一緒におしゃべりするとか、そういうことでいいんだと思います。そうすれば、子供たちはまるで自分の子供のようにかわいく思えてきます。そんな状態で「ひいき」なんかあり得ないわけです。
よく、男の先生が「可愛い子をひいきする」なんて批判されることもあるようですが、人生経験が豊かな先生であれば、男子であっても女子であっても、大切なのは内面だということをよく知っているはずです。例えば、あるツッパリ生徒がいるとしますよね。「あいつは悪いやつだから」と決めつけるかどうかという問題ですが、「大人に反抗するパワーを持っているやつは、いつかは大成する」と考える教師もいるんです。そういう先生は、ツッパリ君を「悪」と決めつけたりしません。女の子のツッパリ君だって同じです。もしかしたら、家庭でいろいろな悩みを抱えているかも、と考える先生は、「クソじじい」「クソばばあ」と悪態をつかれても、笑顔でやり過ごすことができます。
学校の教師は「正義感」の人でなければならないと思います。他人からあまり相手にされずに孤立しがちな子に気がついたら、その子をた~くさん可愛がってあげなければなりません。それを「ひいき」と呼ぶ人はいないでしょう?僕には子供がいないので、生徒たちはみんな自分の子供のように可愛がっています。子供たちがみんな僕のことを好いてくれているかと言えば、それは疑問ですけどね。いいじゃないですか、「愛は与えるもので、奪うものではない」のですから。
(2017年4月25日・火曜日)
《質問》どうして先生たちって、すぐに反省とか、感想を書かせるんですか?
たしかに文章を書くのって面倒ですよね。僕は、自分の考えを文字にするのが好きですが、そういう人は少ないでしょう。学校の先生たちがいわゆる「振り返り」を生徒たちに書かせるのは、きちんと授業をやったのだという証拠にするためです。悪い言い方をすれば自己満足でしょうか。もし、本当に必要で書いてもらっているのなら、その中から他の生徒にも読ませたい文章を集めて、その一部でもいいですから学級通信に載せたりするはずなのですが、そういう先生はものすごく少ないのではないでしょうか。
ただ、文章には大きな力があります。それを書くことで考えがまとまるという力。そう考えると、「振り返り」は全く無駄ではないでしょうし、先生たちも必ず全員の「振り返り」に目を通して、クラスの生徒たちが何を考えているのか知るための、貴重な材料にすればいいと思います。
何が何でも「振り返り」というのは子供たちの負担を無視する行為です。先生たちだって、学級通信を定期的に出している人はほとんどいないのですから、書くという行為は場面を限定すべきだと思います。
でも、ここで忘れてはいけないことがあります。それは提出期限を守らないままにしておかないことですね。自分では大した内容ではないと思っても、提出すべきものは必ず出す習慣は大事にしましょう。そうすれば、社会に出たときにその習慣が大変役に立つでしょう。
それでも、書くのは嫌ですか?僕は1週間で原稿用紙400枚の作品を書き上げることができます。出版社の人もそのスピードにはびっくりしていました。でも、中学生のときは、どうしたら原稿用紙から逃げることが出来るかばかり考えていたんですよ。書くのが苦手な人も、何がきっかけで変身するかわかりませんよ。
(2017年4月25日・火曜日)
《質問》部活動には入らなければなりませんか?
時代は変わりました。昔はほぼ全員が部活動に属していましたが、今では学校で部活動をやらない生徒たちの数も増えています。サッカーや野球のクラブチーム、ピアノやギターのお稽古、チアダンスやチアリーディング。他にもいろいろあると思います。学校外の活動に参加していれば、校内の部活動に属することは無理でしょう。それに、部活動にも入らないしお稽古事もやらないという生徒がいたとしても、何が悪いでしょう。自分の時間は有効に使うべきです。
学校の部活動に所属すると、週末や祝日は部活動のスケジュールに束縛されます。僕も顧問をやっていた頃は、自分自身が作っているスケジュールに束縛されていました。妻と旅行に出かけることもできませんでしたし、こんな風にホームページを作ったりする趣味の時間を持つこともできませんでした。それに、疲れもたまる一方でした。重い鉛のような体をひっさげて月曜日の学校に行くのは、本当に辛いですね。それでも、部活動にエネルギーを注ぎたいと思うのなら、そこから得られるものも少なくはないと思います。
ただ、一つだけ教育委員会にお願いしたいことがあります。それは、高校入試のための調査書には部活動名しか記載できないということです。なぜ、学校外の活動がダメなのか、全く理解できません。例えば、学校に卓球部がなかったとしたら学校外のクラブでやるしかありません。部活動との違いは何ですか?むしろ、クラブチームのレベルの方が高いのです。
最近は熱心に部活動の顧問を務めようという先生も激減しています。そのために、日当もかなりの金額を出すようになっていますが、それでも自分の生活を第一に考えるのが今の先生たちなのです。もちろん、年老いてしまった僕も、自分の生活を第一に考えたいと思ってますよ。必死になっても役に立ちませんからね。笑笑
(2017年4月25日・火曜日)
《質問》何もしてないのに、髪の毛を黒く染めてこいと言われて、納得がいきません。
よくあることですね。別に茶髪にしているわけではないのに、担任の先生や学年の先生たちに、「髪の毛茶色いよ。すぐに家で染めてきなさい」と言われてしまう。それでも、何もしないでいると学校全体を仕切る生徒指導の先生に呼び出されるとかね。ちなみに、生徒指導担当の教師というのは、特別な訓練を受けたり、特別な資格を持ったりしているわけではないので、何もびくつくことはありません。
生まれつき髪の毛の色が茶色っぽい人もいるでしょうし、スィミングクラブで練習していて、プールの中の塩素の影響で髪の毛が脱色状態になる人もいるでしょう。もしそうだとしたら、学校から何を言われようと、それに従う必要はありません。それは、明らかに「人権の侵害」で、子供たちの人権についてしっかり研究を進めている学校なら、安易に「染めてきなさい」というような発言はしないはずです。それでも、しつこく黒染めを要求されるなら、教育委員会に「人権侵害で訴えようと思いますが、よろしいですか?」と申し出ればいいのです。大騒ぎになることをやたらと恐れる委員会は、すぐに中学校に指導を入れるでしょう。学校なんて、そんな単細胞人間の集まりなんですから。
だいたい、髪の毛の色がどうのこうのなんてこだわる時代は終わったのではないでしょうか。日本人の黒髪に特別なこだわりがあるというのなら別ですが、大人になれば特に女性は自由に染髪しています。「まだ中学生なんだから」という考え方もわからなくはありませんが、単純に賛成するつもりもありません。ただ、中学生がオシャレに夢中になって、本来のあるべき姿を見失うというのは、考えものでしょうけどね。
(2017年4月26日・水曜日)
《質問》どうしてスカートを短くするとしつこく注意されるんですか?
そうですね、高校生以上の女性は、たいていミニスカートですからね。中学生でもスカートは短くしたいという気持ちはわかります。ファッションの世界では、長いスカートと短いスカートが交互に流行するんだそうです。今の時代は短いスカートの流行の時代。若い男の子の腰パンに関しては、早くも流行は終わったかのように見えます。
茅ヶ崎市とか藤沢市の学校では、スカートの長さはだいたい膝ぐらいです。まるで私立高校の女生徒のようで、きちんとして見えます。でも、先生たちはそういう外見上の秩序で、生徒たちの指導が上手くいっているなんていう自己満足にだけは陥って欲しくありません。誰がどんなことで悩んでいるか、きちんと把握していますか?学校の教師の仕事は、スカートの長さを点検することではなくて、内面をしっかりと見つめることだと思うんですね。
横浜の中学校に勤務するようになって、何がびっくりしたかというと、女生徒のミニスカートを全く注意しないということなんです。そんなつまらないことにエネルギーを使うのではなくて、生徒たちとの対話を重視したいとのことでした。僕はそういう方針を大歓迎したのですが、ミニスカートを許していても、やはり内面に目が行かない点は同じでした。これじゃあ、意味がありませんよね。学校の教師は、優秀だった人が多いから、生徒の悩みを理解できないのでしょう。
修学旅行の服装も地域によって大きく異なります。茅ヶ崎や藤沢は標準服を着用しますが、横浜は私服です。聞くところによると、標準服で行かせようとすると、反抗的な生徒が新横浜の集合場所で先生たちとトラブルを起こしたからなのだそうです。なんだ、そんな理由なのか…ちょっとがっかりしました。でも、私服姿は嬉しかったですね。何も注意する必要はないし、個性が光っていて見ているだけで楽しかったからです。ミニだからダメなんて注意することもない。
学校という場所は、とても価値観が狭いところなんです。それに、日本人は何に関してもそろっていないと気が済まない。あるとき、私立高校の生徒たちが修学旅行で駅を列になって歩いている姿を見たことがあります。まるで軍隊の行進のようで気持ち悪かったし、かわいそうだなと思いました。
(2017年4月26日・水曜日)
《質問》どうして教室で動物を飼うことができないんですか?
動物が大好きな子はたくさんいると思います。僕も、昔教室で動物を飼っていたことがありました。九官鳥、セキセイインコ、熱帯魚。でも、九官鳥を飼っていたとき、ちょうどゴールデンウィークで部活動の試合が殺到した時期に、誰も教室に行って九官鳥にお水をやることができず、死なしてしまったことがありました。みんなから「大ちゃん」と呼ばれた人気者でした。生きるものと一緒に生活をしていれば、必ず死が訪れます。
でも、動物との別れからも、僕たちは命の大切さを学ぶことができます。それでも、生き物を飼うというのは、ものすごく大きな責任を伴うことです。どんなに大変でも世話を怠ることはできません。それに、腕白坊主のいたずらも決して許すことはできません。クラスがそういう責任を十分に自覚しているなら、可能かも知れませんが…
例えば、夏の暑い日にはどうしたらいいでしょう。みんなが下校した後の教室の窓を少しずつ開けておきますか?学校は外部の人間の侵入を防ぐために、戸締まりは厳重でなければなりません。窓を閉め切った蒸し暑い夜に、動物たちはどんなに苦しい時間を過ごさなければならないでしょう。熱帯魚はどうですか?水温はだいたい27℃に保っておかなければなりませんが、真夏の夜には水温は当然上がってしまいます。氷を入れなければなりません。毎日できますか?濾過器は一晩中動かしておかなければなりませんから、電源を切るわけにはいきません。あるとき校長から言われました。「もし水槽が割れたら、前にいる生徒が大怪我をするんだよ。君はそこまで責任がとれるのかね」僕は、仕方なく全ての熱帯魚を生徒の家にもらってもらいました。
うちの学校にはマガモがいます。教室の中ではありませんが、あの子たちの面倒を見るのだって、簡単なことではありません。動物好きな子たちは「かわいい!」と言ってくれます。でも、その「かわいい」の裏には、一生懸命面倒を見てくれている人間がいます。先生たちは何もしません。作業員の方たちが一生懸命世話をしてくれています。自分が面倒をみないでおいて、ただ「かわいい」と言っているのは、「飼う」とは言わないのです。
先日、京都に旅したとき、動物たちに癒やされたいと思い、京都動物園に行きました。檻の中に閉じ込められて、野生を忘れたけだるい顔をしている動物たちを見て、悲しい気持ちになりました。
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うちにも柴犬の「龍馬」がいます。犬は野生を取り戻して自由に生活していくことはできませんから、誰かが飼い主にならなければなりません。僕は平塚のペットショップに預けられていた龍馬を妻と一緒に行ってもらってきました。3ヶ月で我が家にやって来てくれた龍馬も、いまでは13歳です。すっかり年を取ってしまいましたが、彼は僕たち家族の人間をどれだけ支えてきてくれたことか知れません。動物の持つ大きな力です。
また、学校には動物が苦手な子もいるに違いありません。ぜんそくの持病を持った子もいるかも知れません。そういう子たちのことを考えると、教室の中で動物を飼うことは難しいですね。いつか自分の家の中でペットを飼うことができるようになったら、ぜひ一生懸命面倒を見てあげてください。ただし、先ほども言いましたように、動物とは必ず別れの日が来ます。そのことだけは、決して忘れないようにしなければなりません。
(2017年4月27日・木曜日)
《質問》どうして英語の先生になったんですか?
中学1年生の夏前までは、僕の英語の成績は5段階中の3でした。これはまずいと思った親が、一生懸命塾を探してくれたんです。そして出会ったのが「弥生学習塾」という補習塾でした。塾長の長峰和幸先生は、もと私立女子高校の数学の先生で、やる気のない生徒たちに幻滅して塾を作ったそうです。厳しい方でしたが、とても人間味にあふれた方でもありました。塾の授業が終わった後で、僕たち生徒をラーメン屋さんに連れて行ってくれたこともありました。僕の英語の成績は驚くほどのスピードで上がり、すぐに5を取ることができるようになり、それ以後は中学を卒業するまでずっと英語と数学の成績は5を維持することができました、
僕は英語にとても興味を持ち、他の人間が考えつかないような勉強を始めました。映画の脚本とカセットテープを入手してそれで勉強したり、英語の歌をそらんじて発音の勉強をしたり、僕の英語が日本にいながらにして最高のレベルになったきっかけは、そのときに始めた特別な勉強方法にあったと思います。でも、僕は英語が大好きだったから英語の教師になったのではなく、長峰塾長の人柄が大好きだったから、僕の英語を鍛えてくれた先生にあこがれて、英語の教師になったのだと思います。残念ながら中学校の先生たちには影響を受けていません。
日本の学校の英語の先生は、インチキな人が多かったですね。自分はちっとも英語がしゃべれないのに、それで先生をしている。英文法は大切ですが、実際にネイティブが使っている英語に対する知識も必要だと思いました。高校生になるとそんな教師になって、中学校で英語の基礎を教えたいと強く思うようになったのです。英語としては社会に出ても一流と言われる実力をつけた上で、中学校の先生になりたいと。
僕の特殊な勉強方法は続きました。出会った英語の文章で気に入ったものは、全て暗記しました。発音記号を勉強してアメリカ発音とイギリス発音の違いも独学しました。ネイティブの先生がそばにいなくても、発音記号さえあればきれいな発音ができるまでになりました。英文法は徹底的に勉強しました。英文法の教科書の中の例文は全て暗記しました。大学生になると、ラジオの会話番組を使って、本物の英語に慣れ親しみました。教員になったときは英検4級しか持っていなかった僕ですが、校内での英検受検を担当するようになって、自分が4級ではシャレにならないだろうと、31歳のときに改めて英検に挑戦しました。面倒だったので、いきなり英検1級を受けました。1次試験はちょっと難しかったですが、2次試験は楽しく受験することができました。一発合格でした。僕がずっと目指してきた、一流の英語力を持って中学校で英語を教えるという目標は達成できたのだと思います。
英語を使って海外で活躍する仕事にも就けたでしょう。でも、多くの素晴らしい先生や生徒たちとの出会いを思えば、中学校の英語教師になったことは、決して間違っていなかったと確信しています。
(2017年4月27日・木曜日)
《質問》中学校の成績はどうやってつけているんですか?友だちの方が点数が下なのに、私の方が成績は下でした。どうしても納得がいきません。
現在の中学校では「観点別評価」が導入されています。例えば、英語でしたら「コミュニケーションに対する関心・意欲・態度」「表現の能力」「理解の能力」「言語・文化に対する知識・理解」の4項目です。それぞれの項目に関して、5段階評価が行われ、4つの項目の評価を合計して全体の評定が決められます。ですから、テストの点数が下の友だちの方が、点数が高かった自分より、上手に観点別の評価をとっていたということもあるでしょう。
ちょっと難しいですかね。僕も、成績は昔のようにテストの合計点だけで決めた方がすっきりすると思うし、絶対評価よりも相対評価の方が不公平ではなくなるような気がしています。絶対評価でも平気で1をつける先生もいますから、いったいどういう考え方をしているのかと、大きなクエスチョンマークがつきます。観点別の評価基準を微妙に調整すれば、学校の授業を真面目に受けて、ノート整理もきちんとやっている生徒に、成績の1がつくことはありえません。
絶対評価ですから、学校によって成績の甘さ・辛さに違いが出てくるのは当然です。それは一学年全生徒の評定平均を出してみればはっきりします。「こんなに成績が甘いんじゃあ、入試のときに高校側が信じてくれないだろう」なんて訳のわからないことを言う管理職がいますが、絶対評価の中で生徒が一生懸命頑張ったのなら、評定平均が上がっても決して困惑することはないでしょう。それより、平均が低かったとしたら問題があります。
それから、特別にひいきされている子がいるのではないかと、疑問を抱く生徒や保護者がいるかも知れませんが、それはちょっと考えにくいです。ただ、以前は存在した「成績会議」が今では行われていないのが不思議です。担任が、自分のクラスの生徒の成績に関して、教科担当に質問できる貴重な場ですから、つまらない会議などやっている暇があったら、ぜひ実施してもらいたいと思います。「疑問があったら、自分で教科の先生のところに質問しに行きなさい」だなんて、そんな無責任なことはないでしょう。成績をつける側の先生たちは、しっかり責任を果たすべきです。
(2017年4月27日・木曜日)
《質問》クラス分けはどのようにしてやっているんですか?
まずは、リーダーになれそうな活発な子や担任の手を焼かせそうな子を均等に分けます。それから、成績が偏らないように一般の生徒たちを分けます。不登校になりがちな子やいじめられそうな子も均等に分けます。これで、基本的なクラス分けの基礎ができるのですが、ここからが大変な作業になります。人間関係を考慮しなければなりません。この子とこの子は一緒にしない方がいいとか、この子はこの子と一緒にしてあげた方がいいとか、そんな感じです。全てのクラスが決まったら、最後に担任の先生を割り振ります。担任によって子供たちの行動は変わりますから、誰を担任につけるかという判断は非常に重要です。大変なメンバーに見えるクラスがあっても、ベテランの先生が担任すれば、簡単にまとまってしまうということだってありますし、逆にいいメンバーに見えるクラスが未熟な先生が担任したために、とんでもなく混乱したクラスに変貌してしまうということだってあるわけですね。
でも、ある学校では、一人だけお気に入りの生徒を選んでいいなんていうとんでもないルールを設けている学校もあると聞きました。僕が学年主任なら、ものすごい雷を落としますけどね。生徒が担任を選べないのに、なぜ教師が生徒を選べるのか。そんな非常識なことを平気でやっている学校は、間違いなく荒れていくでしょうね。担任の先生たちは、生徒がいいとか悪いとか言う前に、生徒は自分次第でいくらでも変わるのだという事実に気づくべきでしょう。
4月の始業式には、子供たちは期待と不安に胸を膨らませて登校します。その子供たちを裏切らないためにも、クラス分けはベストを尽くして、自分たちにできる最善の結果にしてあげたいものです。
(2017年4月27日・木曜日)
《質問》どうして先生に呼ばれると、話を聞く先生が2人以上いるんですか?
そうですね。先生が2人以上いると、警察で事情聴取されているようで嫌ですね。複数の教師が話に参加するのは、主に生徒指導に関する話題のときでしょう。それは生徒の話を確実に聴くためではなく、先生の発言を後で証明するための方法です。ああ言った、こう言ったともめることが少なくありませんからね。でも、例えばいじめについて加害者や被害者に話を聞くとき、果たして2人の教師が必要かと言えば、必ずしもそうではないと思います。
話をする生徒が一番信頼している教師が事情を聴けばいいわけで、そこにもう一人の教師が同席して、場の緊張を高める必要はないでしょう。どうしても、発言の正確さを求めたいのであれば、ボイスレコーダーで話の内容を録音すればいいと思います。もちろん、録音の許可を生徒に取る必要はありますが。
最近は子供たちに信頼される教師が少なくなりました。その先生に相談すれば、必ずいい方向に問題を解決してくれるという信頼をもらっている先生が。例えば、いじめられている子が先生に相談する場合、事件を上手く解決する手腕のない未熟な先生は、問題を複雑にしてしまいます。そして、いじめはもっと深刻化する。もしかしたら、2人で話を聴くというシステムは、そういう未熟な教師のために誕生したのかも知れません。
(2017年4月27日・木曜日)
《質問》うちのクラスの担任の先生はほとんど学級通信を書いてくれません。
学級通信に関しては、別に担任は必ず書かなければならないという決まりがあるわけではありませんから、文章を書くのがあまり得意でない先生は、書こうとしないかも知れません。創刊号を出してしまえば、最後まで出し続けなければならないというプレッシャーものしかかってきます。でも、学級通信があれば、担任の先生の考え方や人間性がクラスの生徒や保護者に伝わるという大きな利点があります。その一方で、途中で途絶えてしまえば、「あの先生は物事を続けることができないんじゃないか」という不信感を買ってしまうかも知れません。
昔、先輩の体育の先生が僕に言いました。「私はね、生徒に言いたいことは全て学活の中でしゃべってるから、学級通信なんか書く必要はないんだよ」僕は笑って聞いていました。それはそれでその先生の個性なので、反論するつもりもなかったわけです。僕は違うタイプの教師です。毎日の出来事を学級通信に記録するのが、楽しくて楽しくて仕方ありません。生徒や保護者のために書くというのではなく、ただ単に自分の趣味の一つとして書いています。若い頃は最後まで続かずによく自信をなくしましたが、今では1000号近く書いても、途中で途絶えてしまうことはありません。「継続は力」ですね。
学級通信に関して絶対にやらないように気をつけたいのは、生徒に過度な期待を抱かせないことです。最初の1枚を書いたのなら、枚数は少なくても最後まで出し続けなければなりません。生徒たちにも継続の大切さを説いているのですから、自分が実行できなければ話になりません。ただ、何度も言うようですが、学級通信を書いてくれるからいい先生なのだと結論するのはあまりにも単純すぎます。本当にいい先生は、子供たちの気持ちをよく考える人です。
(2017年4月27日・木曜日)
《質問》3年B組金八先生のような先生は現実にはいないのでしょうか?
痛いところをつかれましたね。あのドラマの主人公金八先生を演じている武田鉄矢さんは、福岡教育大学で教師になるための勉強をしていたと聞きます。ですから、ドラマの中の彼は本気で先生を演じていたのでしょう。あとは、武田鉄矢さんの人柄が、あのようなキャラクターを作り上げたのだと思います。
実際にも、立派な先生は大勢います。尊敬すべき人情味あふれる先輩を、今まで何人も見てきました。金八先生のようになるためには、社会経験をたくさん積んで、人の痛みがわかる先生にならなければなりません。多くの先生は立派な大学を出てストレートに学校現場に入ってきますから、社会でもまれた経験がありません。そのままだと、生徒の気持ちを理解できる先生になることは非常に難しいと思います。
「3年B組金八先生」をテレビで観て、「あれは所詮ドラマの中の話だから」と言い切ることができたとしたら、その先生には何かが欠けているのでしょう。「先生も金八先生みたいになれるように頑張らなくちゃな」と笑いながら生徒に言える先生がいたとしたら、その先生は立派だと思うし、すでに金八先生になっているのかも知れません。
金八先生は、クラスの生徒のために一生懸命です。学校の先生がみんな生徒たちのために一生懸命頑張る人たちの集まりだったら、学校はどんなに素晴らしい場所になることか知れません。ところが、実際には情熱を失ってしまった人たちも少なくない。そういう先生たちは、子供たちの顔をじっくり見つめてみればいいのです。そして、「やっぱり子供はかわいいな」と感じることができなかったら、職場を変えた方がいいかも知れませんね。
(2017年4月28日・金曜日)
《質問》どうしていじめはなくならないのですか?なぜ、先生たちは何もしてくれないのですか?
そうですね、人間も動物ですから、本能的に「弱肉強食」の性質を持っています。それでも、野生の動物たちの方が人間よりも仲間に優しいかも知れませんが。「ジャングル・ブック」という映画を観たことがありますか?映画の中では、人間の残酷さと動物の優しさが描かれていますね。
いじめがなくならない理由の一つは、自分がいじめに加わらなければ、いつかは自分がいじめられてしまうかも知れないという不安があるからでしょう。勇気を持ってノーと言える心の強さを持っている子が一人でも多くいれば、いじめは長続きはしないと思います。まずは、先生にいじめの事実があることを知らせましょう。先生たちは決していじめに対して無関心なわけではありません。先生たちも生徒と同じように勇気を持たなければなりません。そして、たった一人の先生でいじめの問題に取り組むのではなく、学年の先生全員で取り組むようにすべきです。
僕のクラスでも大がかりないじめがありました。最初に担任したクラスでは、「早く解決しなければ、被害を受けている女の子が学校に来れなくなってしまう」と焦って、僕一人で問題の解決を図ろうとしました。いじめていた男の子たちをぶっ飛ばしたのです。確かにいじめはなくなりましたが、それは僕にぶっ飛ばされることに対して恐怖心を抱いたからです。大失敗でした。僕は体罰教師として訴えられ、県教委から処分されました。「学校の先生たちの世界では、正義は通らない」生徒たちはそう感じたかも知れません。先生たちみんなで作戦を練るべきでした。
もう一つのクラスでも大がかりないじめがありましたが、今度は学年の先生たち全員に協力してもらって、圧力をかけるのではなくじっくりと話をするという方法をとりました。いじめの中心だった男の子も、反省してくれたようでした。クラスの大多数が「先生たちは本気だ」と悟ってくれたのでしょう。横浜市は福島県からの転校生に対するいじめで全国的に注目を浴びています。ですから、いじめに対する先生たちの意識も高まっていたのでしょう。「いじめられる方にも問題はある」という発言は一切聞かれませんでした。その後、被害者の女の子は元気に学校生活を送っています。
「先生に言うといじめが余計ひどくなる」とか「どうせ先生たちは何もしてくれない」と結論づけてはいけないと思います。学校の先生も馬鹿ではありませんから、どうしたらうまくいじめを解決できるか、みんなで一生懸命作戦を練ってくれることでしょう。だから、決してあきらめずに先生たちに相談してください。
人間が動物としての残忍な本能を持ち合わせているために、いじめがなくなることはないでしょう。大切なのは、自分の中に強い心を育てることです。いじめに誘われたら、毅然とした態度でノーと言える心。いじめにあったら、そんな卑しい連中に負けない強い心。でも、頑張りすぎてはいけません。いじめにあったら、必ず誰かに相談することです。大人になっても大変な問題を抱えながら生きていく場面があるでしょう。そういうとき、大人も誰かに相談しながら頑張るものです。
(2017年4月29日・土曜日)
《質問》どうして学校に携帯電話を持って行ってはいけないのですか?
僕の学校では、年度当初に携帯電話を持って行かせて欲しいという親からのお願いの書類を提出すれば、携帯の持ち込みは大丈夫です。ただし、朝学活のときに担任の先生に預けることになっています。でも、実際には預けずにずっと自分で持っていて、授業中にラインを使ったり、授業をしている先生の写真を撮ったりする生徒もいるようです。まずは、約束事をしっかりと守らなければなりませんね。スマホが遊び道具になってしまうのなら、学校への持ち込みを全面禁止されたとしても、誰も文句は言えないでしょう。ただ、それだと学校から直接塾に行く子は、親との連絡手段がなくなってしまいます。こんな物騒な世の中ですから、スマホを持ち歩くことは必要かも知れません。
きちんと節度を守ることができるのなら、遠足や修学旅行にスマホを持って行くことも許されるようになるでしょう。学校から貸し出されるデジカメを使わなくても、スマホで記念写真を撮ることも許されるはずです。でもですよ、班行動をしている最中に「ながらスマホ」をやっている班員がいて事故でも起こしたら、仲間にも大きな迷惑をかけてしまいます。そういうルールが守れるのなら、スマホも有効活用できるのですが、普段の登下校で自転車に乗りながらスマホをいじっている高校生たちを見ると、ちょっと不安になってしまいますね。
ちなみに、学校ではスマホで写真を撮ることを禁じています。僕たち教師も、スマホで写真を撮ってはいけないことになっています。理由は、スマホで撮った写真は、簡単にラインなどに載せて仲間に送信することができるからです。それがからかいやいじめの手段になったりする事例もあって、教育委員会は神経質になっているようです。「包丁で殺人を犯す人間がいるから、包丁は使ってはいけない」という法律を作るのと一緒です。文明の利器は、有効に活用する善良な人間たちもいれば、おもしろがって悪用する人間もいるのです。僕は、悪用しませんから、堂々とスマホで撮影しています。
最初の答えに戻りますが、大切なのは自分たちがスマホを悪用しないことを宣言することです。もし、授業中にスマホで遊んでいるような仲間がいたら、厳しく注意をしなければなりません。そうでなければ、いつまでたってもスマホは悪者にされたままでしょう。ラインにしても同じことが言えます。何でも有効に活用しなければ。善意でね。
(2017年4月30日・日曜日)
《質問》どうして髪の毛をピンクのリボンで結んではいけないんですか?ピンクは派手な色ですか?
僕は今日買い物に行ってミズノのジョギングシューズを買ってきました。安く売られていたからです。白地に紫色のラインがたくさん入っています。ひと昔前の学校だったら許されない色だったかも知れません。実際、僕が勤務していた茅ヶ崎市のある学校では、シューズは白のジョギングシューズと決められていました。そんなものどこにも売ってないのにね。女の子の髪の毛を結ぶゴムの色にも指定がありました。赤やピンクはもちろんダメです。理由は派手だから。そしてあるときモスグリーンはどうかということが職員会議の議題に上りました。なんでそんなくだらないことに時間をかけて話し合わなければならないのか、先生たちの感覚もいろいろだったんですね。結局モスグリーンはOKになりました。赤やピンクと何が違うんだろうと思いました。それって先生たちの価値観の問題なんじゃないのかってね。
ピンク色が派手で注意されたわけですね?それって時代錯誤も甚だしいと思います。ピンクのゴムで髪の毛をしばったら不良になると言うのでしょうか。子供の価値観を否定することは許されないと思います。僕は現在髪の毛を茶色く染めています。2ヶ月後に仕事を再開するとき、この色をどうするかということが問題になると思うのですが、僕は茶色のままで学校に行こうと思ってます。「生徒の手前、何とか黒に戻せないかね」もし校長に頼まれたとしても、断固として断るでしょう。職員の希望をいとも簡単に踏みにじるような人のお願いを、どうして聞かなければならないのか。
というわけで、色は変えなくていいでしょう。ただし、何でもかんでも先生たちの言うことに逆らって、損をしないように注意してくださいね。僕はあと少しで定年を迎えます。今さら校長にゴマをすっても何がどうなるというものではありませんから、こんなつまらない反抗をしているだけ。それがいいことだとは、正直思っていません。
スマホのニュースで東京都の高校でとんでもないことが行われているとありました。頭髪が茶色いのは地毛であるということを証明するための保護者の証明書の提出が義務づけられている学校が多いそうです。中には子供の頃の写真まで提出させられるケースもあるとか。日本人は何て価値観が狭いのでしょう。髪の毛の色を変えたら、その子の人間性までもが悪い方向に変わってしまうとでも言うのでしょうか。世界に取り残されますね、こんなことでは。
(2017年5月1日・月曜日)
《質問》最近はいろいろな英会話教材が宣伝されていますが、こんなにお金をかけなければなりませんか?
疑問は最もですね。それに、英会話教材の宣伝は、それを使っていれば手軽に英語がしゃべれるようになるかのような印象を与えますが、宣伝でまさか「やってみないと効果はわかりません」とは言えませんからね。
基本的に、「お金のかかる方法は、あまり効果がない」と思った方がいいでしょう。「英文法の勉強をする必要はない」などと豪語している教材もありますが、それは全くの嘘です。英文法の知識がきちんとしていなければ、正しい英語を話すことはできません。「赤ちゃんが言葉を覚えるのと同じように」といううたい文句も、すでに聞いているだけで語学を習得する能力がなくなってしまった人間には、あり得ないことなんです。
僕も英語の教師で、英語はペラペラしゃべることができますが、そのような高価な教材を使ったことはありません。僕がよく使っていたのは、NHKラジオの「続基礎英語」と「英会話」でした。テキスト代もとても安かったですね。毎日ラジオを聴くのは大変だと思われるかも知れませんが、その大変さを乗り越えずに、英会話をマスターするのは無理でしょう。留学もしないで、日本にいて英語を自由に使いこなせるようになるには、努力が必要です。ただし、継続の努力が必要だというだけで、特別に難しい訓練が必要だということではありません。
英語で日記を書くことも、英会話のいい訓練です。そのためには、定期的に自分の書いた英語の文章をチェックしてくれる人が必要です。それは学校の英語の先生でもいいし、学校に来る外国人講師でもいいと思います。ネイティブの先生は仕事がなくて暇をもてあましている場合もありますから、喜んで協力してくれるでしょう。日記は、和英辞典を引きながら難しい文を書こうとしてはいけません。和英辞典はあまりいい効果をもたらさないのです。それよりも、自分が知っている簡単な英語で書くことを心がけましょう。英会話はできるだけ簡単な英語を使うものだからです。
その他にも、基本的な英文や文章は、できるだけ暗記してしまうようにします。僕は、大学入試の問題文も、手当たり次第に暗記しました。今の英会話の力は、そういう勉強方法が基本になっていると思います。
僕が特定の英会話教材を否定するわけにはいきません。営業妨害になってしまいます。ただし、アドバイスはできます。そして決めるのはあなた自身です。
(2017年5月1日・月曜日)
《質問》どうして学校の先生と塾の先生はお互いの悪口ばかり言うんですか?
おもしろい質問ですね。学校の先生も塾の先生もお互いの立場が理解できないからでしょう。でも、子供の前で悪口を言うというのは、ちょっと大人げないですかね。文句があるなら、堂々と言えばいいのです。塾の先生が学校に乗り込んできてもいいし、学校の先生が塾に乗り込んでもいい。そんな度胸はどちらの側にもないと思いますけど。
以前どこかで書きましたが、僕は大学生の頃地域の塾でアルバイトをしていました。アルバイトと言っても、教員を目指していましたから真剣そのものです。ある日、僕が担当していたクラスの中1の女の子が、学校で不良扱いされていると、保護者から聞きました。要するに、いつもツッパリグループと一緒にいたのだそうです。そうやって簡単に生徒のことを決めつける学校の先生に頭にきた僕は、すぐにその中学校の職員室に殴り込みをかけました。そして、担任の先生を呼び出してそういうふざけた真似はするなと文句を言ったのです。大学生とはいえ、ものすごい勢いだったので、職員室の先生たちはびっくりしたことでしょう。学校を後にしようとする僕を、その担任の先生は追いかけてきて名詞をくれました。
威張れたことではないかも知れませんが、それくらいの度胸がないのなら、やたらと悪口など言うべきではありません。親が子供の前で学校の先生の悪口を言うべきではないのと同じで、学校の先生も塾の先生も子供の前でお互いの悪口を言うべきではありません。
僕は塾の講師をやってから、学校の体質を変えてやろうと決意して、教員採用試験を受けました。最初の学校に赴任したときには、きっと敵意がありありだったのでしょう、先輩の先生たちにいじめられました。そんな「歓迎」には決して負けませんでしたが、学校の教師を軽蔑する気持ちは今でも少しも変わっていません。だから、僕は学校の教員をしながら学校の教員を批判するような発言を度々してしまいます。でも、塾の味方というわけでもありません。学校の教師が抱えている問題も理解しないまま、悪口を言うのは簡単なことだからです。「文句があるなら、学校に乗り込んできてみろよ」僕は学生時代の自分の姿とダブらせながら、心の中でつぶやいています。
基本的に、人間というのは相手がいないときに悪口を言いたがりますね。学校の先生とか塾の先生とかに限らず、そういう卑しい傾向はなくさなければなりません。学校の飲み会に参加すると、保護者や生徒の悪口をよく耳にします。実に不愉快なことです。お酒を飲むなら楽しく飲みたい。校長の悪口なら言ってもいいですが。笑笑。僕が学校の飲み会にはほとんど参加しないのはそういう理由からなんです。
僕は学校の教師を辞めてから再就職するまでの間に、大手進学塾で働きました。あるとき、どこかの教室の偉い室長さんが来て授業をしていました。よく耳を澄ませていると、学校の悪口を言っています。授業が終わってから、僕は堂々と彼女に言いました。「あなたくらい立派な授業をする人が、どうして学校の悪口なんか言う必要がありますか?」彼女は立腹したようでした。それから間もなくして、その塾から辞めてもらいたいと言い渡されました。僕は間違ったことは言ってません。ただ陰でこそこそ文句を言いたくはなかったから、正々堂々と言ったまでのことです。
今の時代、塾の存在を無視することはできません。塾は優れたテキストを使って、受験のための勉強を徹底的に仕込みます。それは学校ではできないことです。だから、学校も塾の存在を尊重すべきです。そして、塾の先生は、学校のように大人数の生徒を前にして、いつも塾でやっているような授業ができるかどうか想像してみるべきです。塾のように、お金を払ってやる気を持ってやってくる生徒たちとは違って、学校は学力の不足したやる気のない生徒たちも含めた大人数を相手にじゅぎょうをしなければなりません。お互いに理解し合わないといけませんね。
(2017年5月1日・月曜日)
《質問》どうして学校ではキャンプをやらなくなったんですか?友だちと宿泊したいです。
そうですね、僕もキャンプが大好きです。日常生活から離れたところで、友だちと一緒に自然に親しんだり、飯ごう炊さんをしたり、キャンプファイヤーを楽しんだりするのは、何事にも代えがたい貴重な経験です。僕のブログ「徒然なるままに」にも書きましたが、そういう宿泊行事は授業数を確保するために削られていきました。そして、おもしろいことに「キャンプファイヤー」という名称は「宿泊研修」などという堅苦しいものに変わってしまいました。「研修」ですから、現地に行ってからグループ毎に別れて話し合いをしたりするわけです。何のための自然なのか。登山をメニューに取り入れる学校も少なくなったのではないでしょうか。中には体力がない子もいます。みんなで励まし合いながら頂上を目指すなんて、こんなに素晴らしいことはありません。
授業数を確保したいのなら、夏休みに実施したらどうなのかという意見も聞かれました。ところが、夏休みは部活動の邪魔になってしまいます。本末転倒とはこのことを言うのでしょう。キャンプがあくまでも学校行事であり、部活動は課外活動ではありませんか。キャンプは修学旅行とは全く違った体験です。僕が現在勤務している学校にもキャンプはありません。宿泊行事は3年生の修学旅行だけです。1年生と2年生では遠足がありますが、それはあくまでも修学旅行の班別行動のための訓練です。1年生ではその他に自然教室のような行事もありますから、1年と2年の遠足を合わせてキャンプにすることは可能だと思うのです。修学旅行に訓練など必要ありません。
ただし、校外行事の持ち方は、管理職の考え方一つですから、学校によって違います。現在でもキャンプを実施しているところがきっとあるでしょう。長野県のように登山を大切にしている地域もあります。かつて大きな事故があったにもかかわらず、大切なものは守り続けるという方針のようです。「聖職の碑(いしぶみ)」という本を読んでみてください。郊外に出れば事故の可能性もあるわけですが、まさかそれが理由ではないでしょう。校内にいても事故は起こります。
野外炊事は男女が協力し合う絶好の機会です。普段見ることができない友だちの別の顔を見て、びっくりさせられることもあります。自分たちで作った食事をみんなでわいわい言いながら食べる幸せ。キャンプファイヤーは最初に意外な形で火がもたらされるよう、先生たちも工夫に工夫を重ねます。山の方から火が飛んできたり、みんなでお祈りすると自然着火する装置を仕掛けたり。エールマスターを務める若い先生は、ここ一番の活躍の場です。各クラスの出し物(スタンツ)には大笑いです。でも、ファイヤーが終わる頃には、寂しさに涙が出そうになります。ファイヤーの後、しばらくその場に残って少人数の集まりでおしゃべりをしたこともありました。登山は大変ですが、本当にいい経験です。
こういう経験がクラスのまとまった雰囲気を作ることに役立つのはもちろんです。なぜ、なくしてしまうのか、僕も常々疑問に思っていました。授業数の確保という理由だけでなく、先生たちに若さがなくなったのかも知れません。大自然の中で生徒たちと一緒に2泊3日の体験をしてみたいと思う先生はいないのでしょうか。
授業の大切さを説く先生たちに聞いてみたいことがあります。「あなたは、自分の授業で、キャンプファイヤー以上の感動を子供たちに与えることができますか?」
(2017年5月2日・火曜日)
《質問》私たちのクラスは授業中うるさいと言われますが、授業がつまらないんです。
痛いところを突かれました。授業がうるさい場合、つまり私語が多くて生徒が教師の話を静かに聞けない場合は、多くの場合はその授業に魅力がないからでしょう。その先生に問題点を指摘できる先生がいればいいのですが、学校という場所は職員室の中でお互いに堂々と批判することができません。ですから、生徒がなかなか静かにしない授業に関しては、他の先生たちもその原因をよく理解しているはずです。決して生徒を責めるつもりはないでしょう。
一般社会の企業では、しっかりとした業績を上げることができなければ、仕事をさせてはもらえないし、給料も減らされるでしょう。教える技術が未熟でも、年齢が行っていれば高い給料が保証されているのが学校です。どんなにつまらない授業をしてもお給料をもらえるわけですから、誰が努力などするでしょう。もちろん、正義感が強く、教師の使命を痛感している先生は、常に自分の研修を怠りませんし、生徒が授業中におしゃべりをすれば、自分の責任だと強く感じるでしょう。
生徒指導の基本は授業だとよく言われます。わかりやすい授業をする先生の言うことは、多くの生徒がよく聞くのではありませんか?それを勘違いして、生徒を静かにさせるのは大声であったり腕力であったりすると思っている先生たちがいます。優しい女性の教師でも、いい授業をすれば生徒たちは静かに耳を傾けるはずです。
僕の去年の1年生のクラスは、担任がやる英語の授業でも私語が絶えませんでした。僕には理由がよくわかっていたのです。3人の教師で1つの学年を教える無理が、自分らしい授業を自由にすることを邪魔していたのです。後半になって、僕は他の先生たちを無視して、自分のなりの教材を作りながら授業をやり始めました。もちろん、授業の様子はみるみるうちに改善されていきました。授業をなめてかかると、大変なことになります。
(2017年5月3日・水曜日)
《質問》修学旅行ではどうしてホテルを使うんですか?みんなと一緒の部屋がいいのに。
昔の修学旅行は、旅館を使うのが当たり前でした。ホテルを使い出したのはいつ頃からだったでしょう。ホテルより旅館の帆が宿泊費は安いので、どうしてホテルが流行りだしたのか、あまりよく覚えていないのですが、確か消灯後の生徒の掌握が簡単だという理由があったように思います。廊下が交差する過度に椅子を置いて一人の先生が座っているだけで多くの部屋の出入りを見張ることができるという理由からだったように記憶しています。ところが、ホテルを使うに当たっては都合の悪いこともいくつかあるんです。
①部屋は2~3名で利用するので、特に女子はその人数でグループを作るのは難しい。
②部屋同士で電話をしあったり、ラインをしあったりするのを監督できない。
③カードキーを持たずに部屋を出てしまうと、施錠されてしまう。
④使う部屋数の関係で、いくつものフロアを使わなければならなくなる。
⑤大人数で会話を楽しむという修学旅行の思い出を作ることができない。
特に、女子2人とか女子3人でグループを作ることが非常に難しいケースも出てきますね。孤立してしまう子が出た場合、担任の先生はどのような対処をするのでしょう。「将来のためにビジネスホテルの使い方を学習できる」なんて偉そうに言っている先生を見ると、馬鹿だなあと思います。誰もが将来ビジネスホテルを使うわけではないし、ホテルを使うのに何を学習する必要があると言うのでしょう。
何でも便利なのがいいということで、2日目の班別行動もタクシーを使う学校が増えてきました。タクシーを使えばさらに修学旅行費がかさみます。地下鉄やバスを使って道に迷う苦労をさせずに、タクシーの運転手さんに任せて行きたい場所に迷わず行くことができます。みんなでわいわい言いながら目的地にたどり着く苦労は意味がないのでしょうか。
修学旅行には6万円ほどの費用がかかります。旅館を利用して、タクシーに頼らなければ、1万円以上が節約できるはずなんです。それは、卒業前のランドやシーへの遠足代に使えるではありませんか。
(2017年5月4日・木曜日)
《質問》私のクラスの担任はとてもいい人なのですが、合唱コンのときにお守りを作ってくれて困っています。私はエホバの証人なので、そのほうなお守りを持ち歩くわけにはいきません。どうしたらいいですか。
そうですね、とても熱心な先生なんだと思いますが、ちょっと配慮が足りませんでしたね。教育基本法という法律には次のような条文があります。
第9条 (宗教教育) 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。
お守りは恐らくは神道(しんとう)の考え方なので、生徒に押しつけると教育基本法で禁じている宗教教育にあたると思います。ですから、担任の先生は、もし差し支えないのなら持っていて欲しいと言えばいいし、あなたも「私はエホバの証人」なのでお守りをもらうことができません」と言って先生に返せばいいでしょう。丁寧な言い方をすれば、先生も決して悪い印象は持たないと思いますし、あなたが自分の宗教を打ち明けたとしてもそれで差別されることはありません。
宗教の問題はとても難しいのです。「信教の自由」は日本国憲法ではっきりと認められていることなのに、こういう時代ですからイスラム教徒だと言えば、少し違った目で見られてしまうかも知れません。ちなみに、神社は「神道」でお寺は「仏教」です。また、初詣にはどちらに行ってもいいことになっています。
学校でよく犯してしまうミスの一つに、例えば修学旅行で京都の北野天満宮で買ってきた合格祈願のお札を教室の前の壁に貼ってしまうことです。確かに学問の神菅原道真公を祀った神社ですから、担任としてはクラスの子供たちのために買ってあげたくなってしまうのですが、それも余計なお世話ということになります。
ただ、同じ宗教であっても、お家によっては比較的縛りを緩くしているところと、厳格なところがあります。ですから、一番いいのはお家の人に相談してみることです。もしかしたら、お守りも許されるかも知れませんよ。
(2017年5月7日・日曜日)
《質問》母親です。どうして今の学校では子供たちにフォークダンスなどを教えないのですか?男女が手をつなぐ経験はとても貴重だと思うのですが。
確かに、体育大会(体育祭)の一番最後のプログラムとして、昔のようにフォークダンスを取り入れる学校はほとんどなくなりました。一つには、体育大会の時間短縮が理由として挙げられるでしょう。なぜ時間短縮をしなければいけないか、その理由はあまりわかりません。まさか、先生たちが早く飲み会に行きたいからではないでしょうけど。
男女が触れあうというのは大事な経験だと思います。僕が勤めている学校では、足柄ふれあいの村という場所に遠足に行って、PAA(Project Ashigara
Adventure)という企画に参加してきます。男女の別なくお互いに体を触れあいながらいろいろな困難を乗り越えるという企画で、この体験の後のクラスはすっかり仲良くなってしまいます。前の学校のときは、野外炊事も含めて1泊2日で実施していましたが、今の学校は残念ながら日帰りの行事です。1泊すれば子供たちの人間関係はもっと親密になるのですが、ここでも「時間短縮」の原則が働いてしまいます。
ここ数年間、僕のクラスでは「お亀さん」というクラスレクをやってきました。これも男女の別なく手をつながなければゲームが成り立ちません。子供たちはこの遊びが大好きでした。ただ、これも「クラスレク」という時間を確保してのことなので、僕のクラスは強引に実施しましたが、若い先生たちは面倒なクラスレクを考えたくはなかったようです。
左の写真は3年前の2年生のクラス、右の写真は去年の1年生のクラスです。どちらのクラスも男女仲のいい、とてもいい雰囲気のクラスになりました。やはり一緒に遊ばなければダメなんでしょうね。クラスで話し合いなんかしているより、外に出て思いっきり体をぶつけ合いながら遊ぶことが必要です。ちなみに、僕は特別にクラスレクが好きな担任ではありません。もっと好きなやつもいます。僕はだんだん好きになってきましたかね。若い先生たちには、僕たちベテラン教師のそういう姿から何かを学んでもらいたいです。いつもいつも学年球技大会で楽をしちゃいけません。
というわけで、お母さんの言うとおり、これからの学校は少しでも多くの時間を、男女の別ないレクリエーションにあてるよう心がけたいものです。「時間短縮」の精神はどこかに捨ててしまいましょうよ。
(2017年5月8日・月曜日)
《質問》先日合唱コンクールがありましたが、審査結果が納得いきません。ちゃんとした審査員をつけて欲しいと思います。みんな一生懸命頑張っているんですから、いい加減な審査をして欲しくありません。
難しい問題ですね。僕も以前地域から音楽の専門家を招いて審査員をお願いしたらどうかと提案したことがあります。大きな声を出していればそれで優秀だと審査するような素人の先生たちでは、子供たちの努力が報われないと思ったからです。あなたの意見と同じですね。
でも、今は考え方が変わりました。審査員になるのは音楽科の先生、学校長、副校長、他学年の主任など偉い人たちがほとんどです。ただし、偉い人=音楽のど素人ですけどね。確かに、音のズレなどは聴き取ることができないかも知れませんが、素晴らしい歌声を感じるハートは持っていると思うのです。最優秀賞をとるためには、そういうど素人の審査員たちのハートも揺らさないといけないのだと思います。もし、優秀賞だったとしたら、何かが足りなかったに違いありません。そう考えれば、腹も立たないのではありませんか。
去年の僕の1年生のクラスは、努力では文句なく学年トップでした。難しい合唱曲に挑戦して、きれいな和音も作ることができたと思います。でも、結果は優秀賞でした。仕方ないのです。審査委員たちのハートを動かす何かが足りなかったのでしょう。でも、学校行事は勝ち負けが一番大切なことなのでしょうか。目標に向かってみんなで一緒に頑張って、最後は結果にこだわらずに仲間と笑顔を交わし合うということが、一番の目標だと思うのです。担任の先生が、目に涙を浮かべながら、「みんなの歌声は素晴らしかったよ」と言ってくれたら、それは最優秀賞のトロフィー以上の勲章なのではないかと思っています。クラスが頑張れたのなら、いつまでも結果にこだわっていないで、次の目標に向かいましょう。
それから、審査員の先生たちも、自分たちが音楽の素人であることに不安を持ちながら審査をしてくれています。いろいろな人たちが協力し合って、合唱コンクールが成り立っているんですよ。だとしたら、「審査員の先生たちの耳が悪い」と一方的に責め立てることは、失礼なことだとは思いませんか?
(2017年5月10日・水曜日)
《質問》もうすぐ体育祭なのですが、担任は「優勝だ!」としか言いません。勝つことだけが全てのように聞こえて、どうも納得がいきません。去年の担任は「みんなで楽しもう!」と言ってくれましたが、それでみんなは一致団結していい結果を残すことができました。どちらが正しいのですか?
担任の先生にもいろいろな個性があります。「絶対優勝だ!」と言おうが、「みんなで楽しもう!」と言おうが、体育祭に向かってみんなといっしょに一生懸命とりくもうという気持ちに変わりはないと思います。ですから、ここは表面上の言葉の問題ではなくて、クラスの子供たちに対する気持ちの問題なのです。
最初の先生が、もしクラスが優勝できなくて、それでみんなのことを責めたとしたら、それは人格的に問題がありますが、「みんなよく頑張ったね」と笑顔をくれたとしたら、立派な先生ではありませんか。また、「みんなで楽しもう!」と言った先生は、恐らくクラスの生徒のことをリラックスさせようとしたのでしょうね。実際には心の中では「優勝させてあげたい」と思っていたかも知れません。でも、きっとこういう先生なら、結果の如何に関わらず「いい思い出が増えて良かったね」と言ってくれるに違いありません。人格的にも立派な方でしょう。
負けず嫌いの人なら、勝負事があれば勝ちたいと思うのが普通です。みなさんの多くは部活動に所属していると思いますが、大会の前に最初から「負けてもいい」なんて思っている人はいないでしょう。それでも、結果は出てしまいます。大切なのは結果が良くなかったときにどういう行動をとり発言をするかです。「こんなチーム、やってられねえよ!」と吐きすれてるように言うチームメートもいるかも知れません。自分だけがベストを尽くしたのだと言わんがばかりの自分勝手な発言ですね。「私たちの分まで後輩たちに頑張ってもらえばいいじゃん」これは前向きないい発言ですね。
行事や大会の結果が出たときの言葉はとても重いですね。その言葉に人柄がにじみ出ます。担任の先生も同じで、クラスの生徒たちの励みになるような言葉をかけられると素晴らしいと思います。大切なのはこれからの学校生活ですし、行事の結果で自信をなくしてしまったら、中学校生活が台無しです。
表面上の言葉ではなく、担任の先生のふだんの言動(発言や行動)を見て、その先生が何を考えているのか判断するようにしましょう。みんなのことを考えないような担任だったら、また来年に期待すればいいじゃないですか。
(2017年5月12日・金曜日)
《質問》先生の中には、ガムを噛んだり、アメをなめたりしながら、校舎内やグラウンドをあるってる人がいます。生徒はものすごく叱られるのに、先生ならいいんですか?
それはダメですね。僕も最近職員室の中でガムを噛みながら他の先生と話している人を見かけて、とんでもないことだと思っていました。生徒であっても先生であっても、ルール違反はルール違反です。スポーツ選手が緊張を和らげるためにガムを噛むという習慣があるのは知っていますが、あれだって見栄えのいいものではありません。もし、会社のオフィスでガムなんか噛んでたら、即クビになってしまうと思います。
うちの学校では、敷地内でスマホをいじるのは禁止されていますが、ある偉い人は平気でスマホをいじりながら歩いているというので、生徒たちから大顰蹙を買っています。せめて、自分の部屋でこっそりやればいいのに、それはどう考えてもダメだと思います。偉くなると、そんな基本的な礼儀も無視するんでしょうか。
もし、生徒が学校の中でガムを噛んだりアメをなめたりしたら、放課後どこかの部屋に呼び出されて大目玉を食らうことは間違いないでしょう。もしかしたら、保護者だって学校に呼ばれるかも知れません。包み紙が落ちているだけでも、職員室では大騒ぎになります。その学校の先生たちが、少しも信頼されていないということでしょうか。先生たちとの間に信頼関係があったら、簡単にルール違反なんかできるものではありません。
とにかく、あなたの疑問は当然で、先生たちには反論の余地は全くないでしょう。対策としては、PTAの役員さんたちに現状を伝えて、学校に苦情を申し入れてもらうことです。
(2017年5月12日・金曜日)